卒業50年後の同級会(梅津和士 実行委員長あいさつ)

卒業50年後の同級会
長井高校昭和48年卒同級会
実行委員長 梅 津 和 士


長井高校を卒業してから50 年経過しました、というより皆さんとお会いしてから53年たってしまいましたね。今回、長井高校同窓会の「つどい学年」の「特別招待学年」としてお呼びいただき、その後、皆さんと同級会を実施することになりました。 この原稿を書きながらいろいろなことが頭の中をめぐります。


53年前の春、早苗が原にそびえ立つ山形県立長井高等学校の門をくぐりました。
1 年生の校舎は、木造校舎でした。隙間がある木造校舎の思い出は、ストーブ当番の仕事でした。2 年生の校舎はモルタル校舎でした。隣では、校舎新築の工事が始まっていました。もっぱら部活動に明け暮れた毎日でしたが、ちょっぴり文化祭の思い出も甦ります。3 年生はコンクリート製の新校舎、何故か生徒玄関でのパン購買の記憶が 甦ります。そして卒業、地元に残った人、向学心に燃えて大学に行った人、道はそれぞれ分かれましたが3年間の思い出を胸に新しい人生を歩みだしたのでしたね。


若い時は 、仕事に家庭にとそれぞれが一生懸命で高校生活を振り返る余裕もありませんでした。私たちの若い時代は、良い時代だったのでしょうか。バブル経済真っ只中、IfeelCokeのコマーシャルソングが流れていましたね。そんな時代に生きていた私に長井高校を意識させたのが、卒業から18年経ったときに届いた磨桜同窓会からの「同窓生のつどい」でした。こんな組織があるんだ。またみんなと会えるんだ、とうれしく思ったものです。


長井高校魔桜同窓会では 、卒業後30年経過した卒業生を「つどい学年」として招待していました。その集いを運営する卒業学年が3学年あり、その中の一番若い学年が、卒業後18年経過した学年だったのです。それから同窓生のつどいに4回参加し、還暦祝いの同級会を経て、今回の卒業後50年目の同級会を迎えることになりました。


今、考えることは健康面です。皆さんも社会人という第二の人生を終え、第三の人生として、自分の趣味や、やり残してきたことに取り組んでいる人が多いと思います。もちろん生涯現役で活躍していらっしゃる方もいますよね。いろいろな人生を送っていらっしゃる皆さんも、健康に留意して日々活動しておられるのではないかと思います。

今回、長井高校桜 同窓会のおかげで、卒業後50年の同級会を開催することが出来ました。令和4年12月に同窓会の第1回実行委員会があり、それを受けて、私たちの同級会実行委員会を令和5年1月に立ち上げました。以来13人の実行委員で開催に向けた話し合いを行ってきました。若い時のようにイベント性のある同級会ではありませんが、各実行委員が自分の立場に立って、アイデアを出し合いながら進めていきました。

卒業後50 年の節目の同級会が、最後にならないよう祈ります。次は必ず参加します。という返事を聞くたびに、もう一度開催したいと思います。本日は、お集りいただきありがとうございました。