大阪に来た理由(菅 勉くんから)

父親も母親もとうに亡くなり,父親は生まれ故郷の長井市豊田のお寺に,母親は,鶴岡市にある自分の実家である寺にそれぞれ眠っています。

父親は,福島,坂出,和歌山など現場を転々として発電所を建設する仕事をしており,1年の大半を現場で暮らし,宮内の家に帰ってくるのは,ほぼ盆と正月だけでした。後に知りましたが,別居生活の理由は仕事の関係の他にもあり,父親にはもう一つ家庭が大阪にあったのでした。

その父親が亡くなったのは,高校入試の年の1月でしたが,入試に影響があってはいけないと思ったらしく,母親から父親が亡くなったと聞いたのは,長井高校に入学してしばらく経ってからでした。

父親の愛人さんが葬儀を済ませ,位牌が大阪から帰ってきたところで,こちらでも親族だけの葬儀を行いました。終わって母親とやれやれとくつろいでいたときに,伊淵先生から連絡をいただき,先生とクラス代表の横澤君(たぶん),片桐さん(たぶん)が焼香に来られるとのことでした。うちには仏壇もなく,どうしようかと母親と大慌てしたことを
覚えています。

進路を考えるようになったころに,大阪に行ってみようと思うようになりました。今は亡き川崎君のお姉さん夫婦の京都のアパートに泊めてもらって入試の発表を見に行き,翌日に寮の入居申込があるということだったのですが,手続きをしないで帰りました。入学までに下宿を探さなければならなかったのですが,好奇心,悪魔のささやき,若気のいたりで,父親の愛人さん宅にお世話になることにしました。母方の親戚にはずいぶん顰蹙を買いましたが,結局母親は許してくれました。

愛人さんと交流のあった父方の叔父に頼み連絡をとってもらいました。入学式の直前に大阪府枚方市の愛人さん宅を訪れた際の第一声は「あんた,親父さんに似てへんな。」でした。いちおう,心の中で「ほっとけ。」と言いました。

それから改めて下宿を探すまでの約1か月,そこにお世話になりました。テレビ,電話付の個室をあてがってもらい小遣いまでもらいました。

愛人さんには私より年が上の二人の男のお子さんがおられ,父親が設立した会社を引き継いでいましたが。そのお二人は愛人さんの連れ子らしく,私と血縁関係はありませんでした(確認済)。上のお兄さんは新婚で,ほやほやの奥さんに朝食を作ってもらって通学しました。

その家は枚方簡易裁判所の近くにあり,数年前に仕事で枚方簡易裁判所に行った時に思い出して見に行ったのですが,雑居ビルになっており,影も形もありませんでした。