近況報告(五十嵐 和恵さんから)
父母の死
父が亡くなる数ヶ月前、まだ頭がしっかりしている頃、私も言った。
『父ちゃん、もし死んで別な世界があるとわかったら、私がわかる様に、それを教えて欲しい。』
••••何と答えたのか、記憶に無い。
父ちゃんが亡くなるその日、私は言った。
『父ちゃん、ばあちゃん(父の母)が迎えに来る筈だから、嫌だって言わずに、行けな。』
父は、かすかに頷いた。
そして父は、物忘れのひどい娘達の為にH20、5、5という覚えやすい日に死んだ。
昨年、母は施設で死んだ。もう駄目だとわかってから、コロナ下であったにもかかわらず、毎日面会が許され、私は通った。意識は無く、ただ眠っているだけの母であった。当日、眠る様子がちょっと違うと思いながら、食欲に勝てず私は部屋を出た。その途中、死亡が知らされた。
母は一人で死んだ。私が帰ってから、数分後の事だった。
『•••さっきまで居たったはずば•••』
悲しむよりも文句を言いながら、母の部屋へ戻った時、戦歌が流れて来た。
クリスチャンであった母の為、いつも枕元で流していた讃美歌の中に、たった1曲入っていた『同期の櫻』だった。(20曲中、1曲だけ入っているのだが、何故なのかはわからない。)
『あ〜、父ちゃん、迎えに来たんだ。』と、私は思った。
(父は生前、歌というものは、2曲しか歌わなかった。この戦歌は、その1曲)そして、1時間程して、医師が来てくれ、死亡を告げてくれた時、またその曲が流れた。私は父母が一緒に逝ったのを肌で感じた。
私の母は、幼い時からクリスチャンだった。しかし祖母(父の母)は仏教徒で、小さな集会の長をしていた。嫁姑という関係だけでなく、そこに宗教までが関わったのでは、どんな風になるか。世界の宗教戦争をみてもわかる様に、決して平和ではありえない。平和を求めるそれぞれの信者は、それぞれの平和しか認めない。
(私の名前は、平•和•恵であったが•••)
母の葬儀は、キリスト教式で行うことになった。誰も行った事の無い様式に戸惑いながらの事だった。私の実家は、とうに無く、全て葬儀会社にお世話になった。納棺式は、牧師先生に来ていただき、通夜会館で行った。
粛々と式が進み、静かに讃美歌の流れる中、きぶんもクライマックスの時、隣の部屋から(同じく仏式の通夜を行っていた家族があったのだろう) 木魚の音が流れて来たのだ。
そして、讃美歌と木魚が見事にコラボした。実に不思議な空間となった。
仏教とキリスト教は、こんなにもきれいに一つになる事ができるのだ。
母ちゃんは姑ともうまくやっているに違いないと、再び私は確信した
の心の中の宗教戦争は終わった。