近況報告(佐藤 信之くんから)

卒業50年に寄せて

中3の進路決定時、好きなクルマの道に進むには鶴岡高専が近道かと長井高との選択に迷ったのですが担任から「職業の選択は高校に入ってから、じっくり考えてからでも遅くないのでは」との助言をもらい長井高校を受験しました。

入学した時はそこそこだったようですが柔道部の稽古で体力を消耗し、レコードが高いのでFMラジオからの録音、バイク乗りと多忙を極め?勉強意欲も湧かず通知表は皆様が白黒のところ、豪華赤黒2色刷りで墜落寸前の超低空飛行。当然ながら大学入試は滑り止めも効かずの惨敗。

仙台文理での1年間は下宿の隣部屋が後に東北大教授となる秀才で良い刺激をもらい、出発点が低かった分伸びしろもあったようで志望校に入学し、建築士の仕事に就き現在に至っています。お陰様で同級生の女房と結婚43年。3人の子供は独立し高齢者だけの生活となりました。お互いオママのおかずに薬を飲みながらダマシダマシ何とか元気にやっています。振り返ってみると15の春は「運命の分かれ道」だったんだなぁとしみじみ感じています。そして長井高校で過ごせた青春、沢山の出会いに感謝です。