「長井高校鷹桜同窓会・同級会のつどい」並びに「48年卒学年同窓会」 御礼とご報告

 2019 年(令和元年) 12 月初めて初旬、中国で 1 例目の感染症が報告されてからわずか数か月ほどの間にパンデミックといわれる世界的な流行となった新型コロナウィルスは、今年 5 月から感染法上の位置付けが 2 類から 5 類へと引き下げられました。

 ようやく少し落ち着きを取り戻してきた感はありますが、元の生活ではなく新たな生活様式となりそうです。

 はぎ宛での「実行委員長あいさつ」から引用します。

 『 53 年の春、早苗が原にそびえ立つ山形県立長井高等学校の門をくぐりました。』

 1 年生の校舎は、木造校舎でした。隙間がある木造校舎の思い出は、ストーブ当番の仕事でした。2 年生の校舎はモルタル校舎でした。隣では、校舎新築の工事が始まっていました。もっぱら部活動に明け暮れた毎日でしたが、ちょっぴり文化祭の思い出も甦ります。3 年生はコンクリート製の新校舎、なぜか生徒玄関でのパン購買の記憶が甦ります。そして卒業、地元に残った人、向学心に燃えて大学に行った人、道はそれぞれ別れましたが、3 年間の思い出を胸に新しい人生を歩みだしたのでしたね。

 若い時は、仕事に家庭にとそれぞれが一生懸命で高校生活を振り返る余裕もありませんでした。

 私たちの若い時代は、良い時代だったのではないでしょうか。バブル経済真っ只中、lfeelcoke のコマーシャルソングが流れていましたね。そんな時代に生きていた私に長井高校を意識させたのが、卒業から 18 年経ったときに届いた鷹桜同窓会からの「同級会のつどい」でした。こんな組織があるんだ。またみんなと会えるんだ、とうれしく思ったものです。

 長井高校鷹桜同窓会では、卒業後 30 年経過した卒業生を「つどい学年」として招待していました。その集いを運営する卒業学年が3 学年であり、その中の一番若い学年が、卒業後 18 年経過した学年だったのです。それから同級生のつどいに 4 回参加し、還暦祝いの同級会を経て、今回の卒業後 50 年目の同級会を迎えることになりました。

 今考えることは健康面です。皆さんも社会人という第二の人生を終え、第三の人生として、自分の趣味や、やり残してきたことに取り組んでいる人が多いと思います。もちろん生涯現役で活躍していらっしゃる方もいますよね。いろいろな人生を送っていらっしゃる皆さんも、健康に留意して日々活動しておられるのではないかと思います。

 今回、長井高校鷹桜同窓会のおかげで、卒業後 50 年の同窓会を開催することが出来ました。

 令和 4 年 12 月に母校の同窓会の第 1 回実行委員会があり、それを受けて私たちの同級会実行委員会を立ち上げました。以来 13 人の実行委員で開催に向けた話し合いを行ってきました。若い時のようにイベント性のある同級会ではありませんが、各実行委員が自分の立場に立って、アイデアを出し合いながら進めてきました。卒業後 50 年の節目の同級会が、最後にならないよう祈ります。

 次は必ず参加しますという返事を聞くたびに、もう一度開催したいと思います。本日は、お集りいただきありがとうございました。』

 現在、実行委員会で「記念誌」を製作中です。

 既に、同級生の皆さんに原稿や写真の提供をお願いしたり、はぎ宛での同級会の折に前金で 3,000 円をいただいておりますが、遅くとも今年中にはお手元にお届けしたいと頑張っていますので、お楽しみに。

 また、今泉生徒会長が立ち上げてくれたホームページ「長井高校昭和 48 年卒業生だより」にもアップできればと思っています。

 この度の同級会は、新型コロナの影響等を考慮し、日帰りでの開催とさせていただきました。そのため、当初は、多くて 40 名くらいかなと想定していたのですが、最終的にタスは 25 名、はぎ宛は 65 名の皆さんにお集まりいただき、ずっぽりと高校時代にタイムスリップしていただきました。

 何年経っても 18歳 に戻れるってやっぱり同級会しかないですよね。皆さんの笑顔えがおに感謝感激です。

 いろいろと不行き届きの点もあったと思いますが、そこは同級生ということでお許しください。ありがとうございました。

   令和 5 年 7 月

長井高校昭和 48 年卒同級会    

実行委員長 梅 津 和 士    

実行委員一同